Sig’s Book Diary

関心本の収集

my memory

知ってます?JStar

1984年は、今から考えるとわたしのコンピュータ・ライフにとってはゴージャスな年だった。アップルのリサをさわり、オーストラリアでマッキントッシュをさわったあと、研究所の情報解析実験室には富士ゼロックスのJStarが導入されてきた。これは、当時とすれ…

初めてマックをさわった

1984年はじめてオーストラリアに行ったとき、それまでさわったことのなかったマッキントッシュにはじめてふれた。アップルの製品については、ちょうど同じ頃、リサがでて、それを会社で導入したから見に来ないかと大学の後輩に誘われて見学に行ったことがあ…

日本語ワープロ

研究所で居候をしていた時、1980年頃だっただろうか、日本語ワープロが購入されてきた。日本でも早い時期の導入であろう。1978年に東芝がJW- 10をだし、相当に高価なものであったが、それから数年遅れの導入だったと思う。キヤノン製のキャノワードだったと…

阿蘇の宿

阿蘇の宿に着いた。夕食の段になって、我々がくつろぎ、仲居さんが料理を出していたところ、我が師匠はトイレに立った。すると彼女は、ちょっと声を潜めて、「あの人は外国の方ですか」と聞いた。かれは、やや肌が白く、目の色が茶色ぽく、百歩譲ったらそう…

指宿から高速道路

移動のために高速道路に乗った。まだ、ほんとに短い距離だった。調子に乗って走っていたら、突如、旗を持った警察官が飛び出してきた。ねずみ取りだった。しょうがないので、路肩に止めたら、その警察官は「この高速道路ではですね、土壌の関係で速度制限し…

霧島高原から鹿児島、指宿

恩師と院生と3人で私の車に乗って出かけた。大阪からフェリーに乗って、宮崎に着いた。今回の目的は、現在も焼畑を残す椎葉村に行って縄文時代に思いをはせつつ、シミュレーションの構想を練ろうというものだった。ところが、台風の影響で道路が不通になりい…

Fortranでシミュレーション

そうした中で、恩師は、過去の人口変動のコンピュータ・シミュレーションをしようと言い出した。恩師の博士論文は手計算だったそうだが、それをコンピュータで作業して、そのデータをふまえてシミュレーションをしようと言うのだ。最初は、大阪大学工学部の…

パート技法からプログラミングへ

次にコンピュータにさわったのは、オーバードクターになった頃で、当時、海外調査のとりまとめのために、どういう訳か「パート技法」が使えないかと思って、その手の本を読んでいた。それらの本はだいたい、プログラミング技法とも関連づけていた。また、そ…

コンピュータとのなれそめ

大学時代、「情報処理」という科目をとった。文学部だったのだが、おもしろそうに思えた。Fortranというプログラミング言語だった。入力するときには、カードパンチャーというタイプライターのような機械を使ってプログラムを一行ずつうちこみ、プログラムの…