Sig’s Book Diary

関心本の収集

日本語ワープロ

研究所で居候をしていた時、1980年頃だっただろうか、日本語ワープロが購入されてきた。日本でも早い時期の導入であろう。1978年に東芝がJW- 10をだし、相当に高価なものであったが、それから数年遅れの導入だったと思う。キヤノン製のキャノワードだったと記憶するが、5インチのメディアにデータを保存し、ローマ字入力仮名変換ができた。一人用の事務机ほどの大きさがあったがプリンターも一体で構成されていて、とても重宝だった。
当時、研究所ではワープロをどう使うのかが結構話題であった。清書機械だというのが、ひとつの考えで、原稿用紙に原稿を書いて、秘書さんにわたし、ワープロで清書をさせたのである。しかし、そのうち、そのプロセスは校正という作業が必要であることになった。ひとつには、ミスタイプがなく正確に入力してくれる秘書さんが少なかったし、それだけではなく、自分の原稿の修正にも便利だということが理解されるようになった。原稿を入力し印刷してから、それを校正刷りのように見なして、「赤」を入れたのである。
そうこうするうちに、自らワープロに向かって入力し始める研究者が出現した。最初は、一台しかなかったのだが、やがては、4−5台に増えた。だれかの「清書」をする秘書さんや論文を入力しようとする研究者で、予約待ちがでるほどだった。
こうしたとき、ワープロを清書機械もしくは校正機械と見なして、いち早く導入しようとして研究者もいたが、頑固に導入しようとしない研究者もいたのである。かれらの論理は、原稿用紙を用いた推敲が大切であって、何度も訂正できるからといって、文章が荒れると主張したのである。
しかし、このように主張した研究者の多くも、やがては、ワープロを使うようになっていった。とくに、1982年以降NECのPC−9801が出現して以来、パソコンも研究室に備えられるようになり、フロッピーによる起動であったが、ワープロソフトが使えるようになった。特に、「一太郎」が1984年ごろがでたころ、一太郎もしくは「松」のユーザが大勢を占めた。