Sig’s Book Diary

関心本の収集

『フューチャリスト宣言』

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/5ac417e7f86d60ae3eb9fa0a72ece886

梅田望夫茂木健一郎、2007、『フューチャリスト宣言』、ちくま新書

斯界でときめく二人の対談。

インターネットの評価について、二人の言うように、ネット上でたいていのことを探し当てられると言うとんでもない時代にいることは確かだ。
これまでも自分自身、知らないことがったらすぐに辞書や事典を引いていたが、最近は、たいていネットで済ませてしまう。あいまいな検索でもキーワードを何度かひねったり組み合わせると、たいてい、必要な情報を得ることができる。とんでもない(ありがたい)時代になったものだ。

現代は、人類が言語を得て以来の革新的な時代だと二人は言うのだが、確かにそんな気もするのだが、まだ確定的ではないのではないかと思う。文字表現やグラフィカルな表現を一つのメディアに載せることができるようになったというのは革新的なのだけれど、それでも、文字を得て、石版や粘土版に記録をとるようになった(岩壁に絵を描くというのも含めて)ものが、電子的になったということ、さらに、郵便のシステムがこれまた電子的になったということ、といった具合に、ある種の延長線にあると思う。
それに対して、言語を得たというのは、もっと超絶的なことのような気がする。つまり、世界の認識と記述のための方法、くわえて、コミュニケーションの方法を得たのだ。インターネットの時代が画期的だといっても、これほどのギャップはないのではないかと思う。
全否定ではなく、さらに普及していくと、人類の知的生産のブレークスルーが在るかもしれないと言う可能性は、否定しない。

それは、茂木のいう彼自身の「クオリア」理論が、アインシュタイン一般相対性理論じゃなくてダーウィンの進化論の方である(あるいは、ありたい)といっていることと関係がある。
ダーウィンは、自分自身は進化論者であることを極力表明せずにいようとしていた。ひょっとして、ライバルのウォーレスが自然選択の理論(進化論)を発表しようとしなければひょっとして、沈黙を守ったかも知れない。それほど、時代を超越していたるとの確信もあったはずだ。進化論を公然と唱えることにより、命が危ないとも考えたかもしれない。
天地創造説を根本的に否定し、キリスト教徒のドグマに代わるまったく革新的な進化論は、単に生物学の問題にとどまらない大きなインパクトだったのだ。

インターネットの発明と普及は、ダーウィンの進化論のようなインパクトである可能性はある。

そのほか、対談の中のさまざまなフレーズは、大変刺激的であった。また、巧まず日本社会論になっていて、これもまた、興味深かった。

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)