Sig’s Book Diary

関心本の収集

『世界は分けても分からない』

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/cfe9031bf6547453e4683026de1ae471
福岡伸一、2009、『世界は分けても分からない』、講談社現代新書

生物の発生は単一細胞からはじまる。まあ、あたりまえのはなしだが、そこから、分裂を重ねて数兆の細胞からなる成体ができあがるなんて、信じがたい。そもそも、働きの違う器官がどうして、たったひとつの細胞から分裂して、できあがってきたのだろう。成るようになったといわれればそれまでの話ではあるが、しかし、なぜだ?
また、ほとんどの細胞は日夜、新陳代謝で入れ替わる。厳密なことをいえば、昨日の私と今日の私を構成する細胞はことなっているわけだ。でも、昨日の私と今日の私は、同じ私として何ら違うとは思っていない。同一性はどのように維持されているのだろう。
遺伝子?それは、おなじだ。私の始まりのさいたった一個の細胞が持っていた遺伝子と今持っている遺伝子は、まったくいっしょだ。だから、自己同一性が保たれる。そう、その通りだ。しかし、細胞は遺伝子が全く同じなのに、形態や機能が異なっている。これは、どうしたものだろう。
著者は、細胞はお互い交信し、お互いの空気を読みそれぞれの位置と機能を分担しあうようになってきたのだという。
本書はエッセー集なので全体を一言で説明するのは荷が重いし、かといって、章ごとに、この章はどうとはいいにくい。しかし、あえて、一言でいうとすれば、これは自然科学的認識論の再検討ということになるだろう。しかも、主流の考えとは違う方向での再検討と言うことだろうか。それは、自然科学的認識論を一般の人間の持っている原初的認識論から考えるというのである。もちろん、だからといって、本書で取り上げられている事柄は、一般の人間の認識が及ぶものとは、異なっていることは、もちろんのことである。
ここでいう一般の人間の認識というのは、あらかじめ出来上がったイメージで物事をとらえようとすると言うことなのだが、本書で取り上げられる例は、たとえば、ひとつは、モナリザの絵の画素数を落としたとしても、モナリザの絵であることがわかるということ、火星探査の結果明らかにされた火星表面に見える動物や人間の顔のように見える地形である。前者は、人間の視覚による認識が、大枠で対象を把握するように作られていることを示すであろうし、後者は、既に知識として持っている事柄を、初めて見た対象であったとしてもそのなかに読み取ってしまう性向があるということである。後者にしても、ある種の認識の節約の方法として、既に蓄えられている情報のなかから新しい現象も認識してしまうという前者と同じく、認識経済学とでもいった合理性によるものによるものだろう。
そして、後半になると一転、細胞のガン化を巡るメカニズムについてのアメリカの生化学研究室の競争と研究室システムの話になる。しかし、そのポイントは、前段の人間の認識のあり方と重なっているということである(あたりまえといえばあたりまえだけれど)。本書の帯は「科学者たちはなぜ見誤るのか?」とセンセーショナルだけれど、この科学者はたぶん「人間」とおきかえて差し支えないだろう。
ま、くどくどかくよりも、一読あれ。著者の一連の著作はヒット続きである。本書も裏切られることはないだろう。

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)