Sig’s Book Diary

関心本の収集

『ユゴーの不思議な発明』

ブライアン セルズニック、2008、『ユゴーの不思議な発明』、アスペクト

ユゴー少年は時計師の父から博物館の屋根裏部屋に打ち捨てられていたぜんまい仕掛けの自動人形のことを聞かされる。ユゴーは父に修理をしてくれるようたのむ。父は、ノートに記録を残しつつ修理を終えるが、不幸なことに博物館が炎上した時巻き込まれて死んでしまう。孤児となったユゴーは駅の時計師の叔父に引き取られ、駅にあるたくさんの時計のゼンマイまきと修理を教えられる。焼け落ちた博物館のゴミ捨て場で、壊れて黒く焼けていた自動人形をみつけて、持ち帰る。酔っ払いの叔父はある日、帰ってこなかった。

ユゴーは、叔父の仕事を引き継ぐが、駅の人たちからは、叔父は生きていると思われている(ユゴーのおかげで動き続ける時計のゆえに)。しかし、給金として支払われる小切手を換金することもできず、盗みをしながら駅の時計のゼンマイまきをつづけ、そして、父の残したノートを手がかりにぜんまい人形の修理を始める。修理のための部品は、駅近くのおもちゃ屋から盗んでくる。しかし、主人のジョルジュにみつかり、ノートも取り上げられてしまう。

ここから、ユゴーの冒険が始まる。ジョルジュはじつは、初期の映画を製作した、ジョルジュ・メリエスで、あることが分かる。ネタばれなのでストーリーはこれくらいにしておこう。

本書は、たくさんのモノクロの絵が書かれたページとストーリーが書かれたページが交錯して現れる大部の書である。じつは、この書は、ユゴーが成人してからつくった自動人形が書きあげたというのが、おちである。

リュミエールの作った映画が、現実を写し取ることに焦点を当てたのに対して、メリエスのそれは、映画の中に夢(現実にはあり得ないこと)を作り出すものであった。まさに、映画とは何かについて、ファンタジーとして描き、そして、印刷物でありながらイメージ(挿絵)を多用して、まるで映画のように読者を不思議の世界に引きづり込むという実に巧妙な仕掛けを著者のブライアン・セルズニックは作り出したのだ。

本書の存在を恥ずかしながら訳書がでたとき、知らなかったのだが、マーティン・スコセッシ監督が映画化するという情報を見て、さっそく手に入れた次第。映画も早く見てみたいな。

スコセッシ監督が児童文学?「ユゴーの不思議な発明」を映画化か:http://eiga.com/buzz/20100125/4/

それから、本書のあとがきに著者が書いているのだが、フィラデルフィアのフランクリン研究所が復活させた自動人形のWAVファイルで、その動きをみることができる。これも、見ものである。

http://www.fi.edu/learn/sci-tech/automaton/automaton.php?cts=instrumentation

ユゴーの不思議な発明

ユゴーの不思議な発明