Sig’s Book Diary

関心本の収集

富山県南西部の町おこし/村おこし

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/b71d1f4e32aa539f0ffad2ce0cc76b6d
前夜、城端の町外れにあるオーベルジュに泊まった。一晩3組しか泊めないとか、田んぼに囲まれ、森に囲まれる城端の町を見渡す、なかなかの景観である。また、木造の建物(おそらくは、現地の古くからの建築様式をいかしたもの)もすてきなのだが、ミシミシどんどんと響く。食事は、夕食も朝食も悪くなかったとおもう。ご飯、釜で炊いたものでなかなかであるし、また、地産地消をめざすという食材も悪くない。しかし、フレンチとは言うものの、この程度だと、町では洋食屋さんでも出すかもしれない。もっとひねってもいいのかもしれない。そして、この路線は、全国ありがちである。ここだけのアピールが何か、景観や食素材だけではなく、もう少し歴史や文化と接点があってもよいのではないか。とすると、ヌーベルであれなんであれのフレンチではなく、むしろ、焦点は地元の料理ということになるのではいかとおもうのだが。

今朝は、宿をチェックアウトしてまずは,城端の町を巡った。その前に、宿のご主人のお話を聞いた。この宿は間もなく、5年目に入るとのことで、自分の在所に新しくたてたもの。子供の頃からの自分お部屋からの眺めが、田んぼと森だったという。日曜というのに朝早くから田にでている農家の方がいて、可能な限り無農薬を目指したいので、雑草は手作業でとっているのだそうだ。また、この集落では、ここの農家ではなく、集団営農を行っているとのこと。これによって、農薬をつかわない農業が可能になったという。しかし、同時に、産物をどのように商品化することも課題とするとのことである。オーベルジュもひとつの試みではあるが、農家の生産品を生かした起業が望まれるところであろう。

チェックアウトのあと、城端の町を巡った。小京都のふれこみで、建物はひとつひとつ、なかなかの味わいとは思うが、どうして、あのように大規模な道路計画を行ったのであろう。おそらくは、曲がりくねった細い道筋がかつて町を覆っていtであろう。現に、メインストリートを外れるとそのような街路がある。しかし、メインストリートを通したおかげで、何かむしろ、殺風景な景観をもたらしたのではないか。この町を訪れた旅人は、再び帰ってきたいと思うのだろうか。また、どこでもありがちな、「よさこい」ブームに乗っていいのだろうか。曳山の味わいをどのように伝えていくのか、やはり、一工夫も二工夫も必要なのだろう。

次に、利賀村のそば村にいった。うーん、利賀村は芸術祭を誘致し、ある意味では、村おこしの先駆者であろう。しかし、このそば村は、あまりにも既成概念にとらわれてはいないか。山村=そばなのだし、世界のそば産地とネットワークを組む。これも悪くはないけれど、驚くような味になっているのだろうか。

北上して、砺波平野の散居の景観の中をめぐった。そのなかで「となみ散居村ミュージアム」にたどり着いた。ここは、散居という景観のネットワークの拠点として、従来の博物館のものを置き、そこでしかみられないというものを、散居という景観にそぐう形で、情報を提供するという発想で企画されたものであろう。しかし、それでも、従来の視点、つまりは、ものを持ち寄ってくる新しい建物ができていて、収集された民具が所狭しと並べられる。たまたま、最近にオープンになったようで、周辺の老人たちが招かれたようだ。彼らの展示品に対する、思いの語りが面白かった。こうした形がもっと生かされないものか。
また、散居の住宅が新旧と移築復元されていて、これはこれで面白い。ただ、やはり、もう少し具体的に見せるための情報提供の仕組みを提供することが必要だろう。たとえば、ハンディGPSをつかったオリエンテーリングを通じて散居の暮らしが環境保護に合致しているといったダイナミックな情報提供の仕組みを考えてもよかろうと思う。あいにく、行政にありがちな箱ものをつくって、これで終わりとはならないようにしてほしいものだ。