Sig’s Book Diary

関心本の収集

『倭館:鎖国時代の日本人町』

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/1088b119135d01276af759ada8c0ad91
田代 和生、2002、『倭館鎖国時代の日本人町』、文芸春秋 (文春新書)

本書に描かれていることを、東アジアに隣接する列島の東アジアの外交史の一局面としてみると、非常に興味深いと思った。
三韓時代の、列島と半島のある意味での一体化の時代、白村江の敗戦後の分離政策とと律令時代の誕生、一転、協調的な遣唐使、さらには、切り離しての国風文化、元寇、明との御朱印貿易と東アジアの大航海時代、ヨーロッパの出現とキリスト教の宣教、これらは、日本の中世の扉を開けた。対外関係の刺激をうけた武力による全国制覇と江戸幕府の誕生、そして、一転、鎖国。しかし、鎖国の中の長崎出島の対中国、対ヨーロッパの交易。また、琉球処分後の琉球を媒介とした薩摩の清朝との交易。そして、この対馬藩の宗氏を媒介との朝鮮との関係。朝鮮通信使はの来朝は、鎖国の中の大いなる刺激であった。
こうした、外交史の中で眺めてみると、長幼の秩序に基づく儒教朝鮮と支配者である江戸幕府と外様の対馬藩という権力関係の中で、詐術めいた二枚舌外交を展開する対馬藩の生き残りをめぐった外交努力は、まさに、小国の悲哀とも言うべきものであろうか。先に学んだ優秀な外交官として新井白石に対抗しうる能力を持った雨森芳洲。こうした状況を見ると、対米追随を単一の外交方針とする戦後政府の外交は、はなはだ、貧弱に見える。日本を取り巻く東アジアの政治経済の状況は戦後、転々としているにもかかわらず、一貫した対米追随はどうなんだろう。もうすこし、タフな指針があってもよいのではないか。対中国、対北朝鮮、対ロシア、また、対韓国、対東南アジア、対オセアニア、対米、様々な局面で、二国間の関係のみならず、多極的な状況にあわせた外交方針があってもよい。
本書のポイントに照らしてみれば、強引に、対馬を日本、朝鮮半島を中国、江戸幕府アメリカと読み替えてみても面白いかもしれない。ある意味、日本の外交のあり方は、したたかな対馬の立場から学びとることも多いような気がするのだが。

今日は今日で、北方四島の3.5島返還論が、首相自ら、また、交渉担当特使の口からぽろぽろと漏れているという状況を見ると、どうも寂しい外交であるようだ。最近は、外交関係はほとんどうまくいっていないと言えるのではないだろうか。

読書と夕食:『雨森芳洲:元禄享保の国際人 』:http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/15e569cfd2d2fb51c228e3f49512fcf4