Sig’s Book Diary

関心本の収集

『ブログ論壇の誕生』

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/42469440b3a70423a2667ddb37bf4579

アメリカの新大統領としてバラク・オバマが当選を決めて約一ヶ月、予備選以来彼のとってきたインターネット戦略は無党派あるいは草の根を掘り起こすことに成功した。SNSやブログを活用して、これまで政治に無関心にみえていた階層をネット戦略を通じて掘り起こすことに成功したし、寄付金集めでも従来のような大口寄付者ではなく、多数の小口寄付者からの寄付をネットを通じておこなった。インターネットの中のヴァーチャルな大衆を現実のネットワークと結びつけることに成功したと言えるだろう。もちろん、おそらくは始まりにすぎないのだろう。
イラク戦争などの報道でも、ブログジャーナリズムは既存のメディア報道を突き崩したし、インターネットに潜在する新たなジャーナリズムは、既存メディアもすり寄らざるを得なくなっている。例えば、NYタイムズ紙は有料サイトを撤回して無料化したし、また、メディア王のマードックはいち早く、メディアとしてのインターネットの可能性を嗅ぎ付けて模索しているらしい。

Wall Street Journalサイト無料化へ メディア王マードック氏公言:http://toshio.typepad.com/b3_annex/2007/11/wall-street-jou.html

日本のマスコミではどうだろう。本書は、「毎日新聞低俗記事事件」や「志位和夫の国会質問」、「トリアージ」、「ケータイが生み出す新たなネット論壇世界」、「青少年ネット規制法」など、ブログジャーネリズムのトピックを取り上げながら、日本におけるブログジャーナリズムの動向について触れている。著者の言う「ブログ論壇」とは、「発言のほとんどはペンネームで行われ、従ってその社会的地位はほとんど問題にされない。そしてマスメディアがタブー視してきた社会問題に関しても積極的な言論活動が行われている。その発言が無視されることはあっても、発言内容を理由にネット空間から排除されることはない。その中心にはブログがあり、2ちゃんねるのような掲示板があり、ソーシャルブックマークがある」。
そして、17−8世紀西欧市民社会のコーヒーハウスやカフェ、サロンにおける討論が世論を形成したが大衆社会の成立とともに、エリートによる討論による世論形成が解体し、知識人によるアカデミズムと大衆世論を集約する機能を持つマスメディアに分断されていった。「ブログ論壇」の誕生は、「分断された公論の世界を、再びひっくり返してそこからかき混ぜてしまう可能性をもっている」、という。
しかし、ネット論壇のオープンな性質は、自由なタブーな気議論を可能にしていると同時に、「個人に対する誹謗中傷や嵐、と言った『衆愚化』をどうするか」、また、「サイバーカスケードと言われる言論のなだれ現象」をどうするか、すなわち、同質なものどうしが同じ掲示板、おなじネットコミュニティにあるまり、意見をことにする人との出会いがおきにくくなり、「民主主義の根幹である『多様な価値観を共有する』『違う価値観の人間も認めあう』という理念を破壊してしまう」、ことになる現象をさす。そして、ネット論壇が「どのようにしてリアルの世論とつながり、政治や社会を変える原動力となっていけるのか」が課題であるという。
その意味で、アメリカの大衆政治は、オバマの選挙戦略を通じてひとつの可能性を示したと言えよう。つまり、「Yes, we can」という訳だろう。しかし、これも、ポリティカル・アポインティたちの座席指定が終わった段階で落胆をうみ、ネット社会が、「Yes, we can't」という結論になるかどうか、しばらくは見ておかねばならないだろう。さらに、長期的には、ネット論壇がどのように推移するのか、アメリカ、日本、韓国、ヨーロッパなど、地域ごとにおそらく異なってくると考えると、まだまだ中止していく必要があるだろう。

なお、本書には著者の選んだ著名ブロガーリストがあって、私自身のチェックしているブロガーたちとの相違を見ていくのも面白かろう。

ブログ論壇の誕生 (文春新書)

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