Sig’s Book Diary

関心本の収集

『空の戦争史』

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/743e748b2258ab970eed236d074fec96

田中 利幸、2008、『空の戦争史』、講談社(現代新書 1945)

もうすぐ、広島長崎の日が訪れる。本書を読んで、改めて、その日の人類史における意味を考える必要があるだろう。淡々とした事実の書き連ねが、次第に、読者を、著者の思いに引き寄せるであろう。

本書は、航空機の誕生以前からの空の乗り物と戦争との関係について、描いている。平面の戦いが立体的な戦いへと戦争が変質したのは、気球による上空からの偵察に始まり、爆弾の投下および空中戦へと変化し、乗り物も、気球から、飛行船、そして、航空機へと変化してきた。
そもそも空中から地上への爆弾の投下は、航空機の空中での姿勢や投下高度、気象(風雨)などによって、目的への正確な投下となるかどうかが決まるという、非常に不確定な要素が存在する。爆弾に推力をあたえて、独自に目標を設定することが可能になれば、多少は、リスクが減るとは言うものの、現代の巡航ミサイルでさえも、正確に目標に到達するかどうかは、なかなか大変なようだ。誤爆というのは、果たして、正確な意味で誤りであるのかどうか。
本書で繰り返し描かれるのは、あり得ない「精密爆撃」戦術と敵を殲滅させるための無差別爆撃が、実は裏腹な関係にあるということである。つまりは、ピンポイントに目標に到達させることは困難であって、様々な事情で、つまり、気象や搭乗員の都合などで、精密さは恣意的にゆがめられるし、そもそも、精密爆撃とは何だろうか。
戦闘員同士が戦い合う戦場への攻撃ではなく、背後の補給基地や補給路、さらには、武器生産拠点などの存在する敵国に爆撃をすれば、そもそも精密ではない爆撃は否応なく、非戦闘員を巻き込む無差別爆撃に転化する。さらに、そうした爆撃が、敵の闘争心を萎えさせるといった予測が、無差別爆撃戦略を補強する。

原爆もまた、そうした延長線に存在する。本書の優れたところは、原爆の被災国である日本の被害者意識を超越した線に、読者を誘うことであろうか。つまり、まずは、原爆は特別なものではなく、無差別爆撃戦略に包摂され、そして、無差別爆撃戦略は、爆弾を投下する者に対して、直接的な実感を与えることがない故に、また、同時に、無差別爆撃戦略が戦争の終結を早める結果に結びつくという言説が、爆撃のボタンを押した者に加害者であるという意識のいっぺんも呼び起こすことがない。同時に、指揮官もまた、崇高な目的のために爆撃を命じたという意識を呼び起こす。
被害者の側もまた、そうした状況を顧みることなく、被害者であることをいい募りがちとなる。こうした、双方が全く異なるあい混じり合うことのない論点のままでは、何もすすむことはない。著者は、「広島平和記念資料館」の展示も、十分ではないという。「自己の被害者体験から他者の被害者体験へと倫理的想像力を働かせ、他者の痛みを自分自身の問題としてとらえることによって記憶の共有が生まれ、また同時に、そのことによって自己の加害者体験、あるいは加害者になる可能性への自己批判力が生まれる。その結果、自分の体験が平和構築に向けての力強い想像力を生み出す源になる」と述べる。

太平洋戦争においては、日本は原爆の被災国であり、無差別爆撃の被害者であった訳ではあるが、同時に、中国や東南アジアにおいて、様々な爆撃(攻撃)をおこない、多数の犠牲者を生み出した加害者でもあるのである。この同時性への気づきが大切なのだ。以前、シベリヤに抑留された香月泰男についての著書について書評したときに述べたが、被害者であり同時に加害者でもある。あるいは、被害者になりうると同時に、加害者にもなりうるということへの気づきが、きわめて重要であると思う。

読書と夕食:シベリア鎮魂歌:香月泰男の世界:http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/9134c197983ade07776b0ad7e8e5f108

空の戦争史 (講談社現代新書)

空の戦争史 (講談社現代新書)