Sig’s Book Diary

関心本の収集

『懐郷』

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/355179aca091eca648a56d90b201e2eb

熊谷 達也、2008、『懐郷』、新潮社 (新潮文庫 く 31-1)

本書は、昭和30年代に生きた女性を主人公(もしくは、テーマ)にした短編集。

例えば、「オヨネン婆の島」、過疎化していく伊豆七島御蔵島を舞台にして、次世代が生まれるたびに黄楊の木を植林するオヨネン婆と東京に転居を企ててそれをどのようにオヨネン婆を説得しようかと思い悩む孫の太一郎をえがく。東京に移るというと、オヨネン婆は島に残ると言い出したりはしないかと悩むのだ。しかし、島に根を下ろしているオヨネン婆だが、孫の思惑を見透かして一緒に東京に行く事をのむ。
過疎化は昭和30年代以降、日本各地で起きたし、高齢化がさらに進むにつれて、過疎地の状況はさらに深刻ではある。しかし、深刻だとか、問題だとかいっても、決定的な解決方法が何か見つかる訳でもない。オヨネン婆の場合はあっさりと家族と一緒にいくことに同意したのだが、しかし、オヨネン婆はむしろ、ポジティブにも見える。人間どこででも生きて行ける。むしろ、娘や孫(娘の長男)とともに生きる事が、大切だと言っているような気がする。

その次の短編「お狐さま」も興味深いストーリーだ。本編は東北のの農村にやってきた町で生まれた嫁が、野狐を見つけて、餌付けをするといった話なのだが、ストーリーは、どんどん展開して行く。彼女の、野狐を見つけて、油揚げを一緒に食べるという本人のイメージとは違って、周りの者には狐は見えず、嫁は狐憑きになってしまったにちがいないと拝み屋に連れて行く。
そこで、嫁は狐の口を借りて、ためにためたストレスを吐き出すのだ。そして、それが終わると、けろりと、まさに、つきものが落ちたように適応して村で暮らし始める。
合理的な説明だけが、解決の近道なのではない。むしろ、荒唐無稽とも思える神話的世界をこそ、現代であればこそ、必要なのだろう。何かに仮託して、口走る事の意味は大きいように思われる。人のパーソナリティはひとつであるというのは、近代社会のパラダイムのひとつではあるけれど、果たしてどうか。

ほかの短編もいずれも、味わい深い。

3月23日の成田への帰国便の中で読んだのだが、書き漏らしていた。時間をさかのぼらせて、記録しておく。

懐郷 (新潮文庫)

懐郷 (新潮文庫)