Sig’s Book Diary

関心本の収集

『沼地のある森を抜けて』

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/bfba4289b565422cdfb0d902158d6897
梨木 香歩、2008、『沼地のある森を抜けて』、新潮社 (新潮文庫)

久美は、亡くなった叔母から「ぬかどこ」を引き受ける(というか、「ぬかどこ」がおかれるマンションに住み始める)。朝晩、「ぬかどこ」をかき混ぜているうちにたまごのようなものがあることに気がつく。そして、ある日、少年が台所にいることに気がつく。そして、世話を始める。幼なじみの「フリオ」とふとしたことでであうが、家にきた「フリオ」は、少年を見て「光彦!」と叫ぶ。「光彦」は久美と「フリオ」の亡くなった幼なじみと瓜二つだった。「フリオ」は「光彦」を家に連れ帰る。次に現れたのは「カサンドラ」となのる中年の女性だった。わがままを極めるので、久美は「ぬかどこ」に芥子を入れて活動をおさえる。
やがて、叔母の同じマンションに住んでいた同じ研究所に勤める「風野」さんが、「ぬかどこ」を調べてくれていたことをしって、引っ越していた「風野」さんをつきとめて、「ぬかどこ」の謎を突き止めようとする。「風野」さんは、粘菌(変形菌)を飼っていて、名前を付けていた。二人は、「ぬかどこ」と変形菌を祖父母の出身地の「島」をたずねる。ここで、久美は、失踪した父と再会し、曾祖父の「安世」の書き残した文書を読み、失われた「沼」を訪ね当てて、「ぬかみそ」と変形菌を島に返す。

ストーリーをおうのが趣旨ではないが、生命の連関を描く本書の以上のようなあらましを書いておかないと、訳がわからないはずだ。

沼から生まれた生命体、それは、沼を養ってきた自然林が切り倒されていく中で、沼の水が涸れて、やがては失われていく。そのことは、同時に島そのものの生命力もうばい、やがて島は、少数の人しか残らない寂れた島になってしまった。いったん持ち出された「ぬかみそ」が島に戻ることによって、島の命が再生しようとする。そして、この帰還を絶好の機会として、「ぬかみそ」から生まれたたくさんの生命もまた島への帰還を果たそうとするのである。
ぬかみそは多様な微生物によって構成される。ひとつひとつのぬかみそごとに味も異なるし、様々な主張(世話の仕方を迫る)するのである。ぬかみそという生命のアナロジーと、過疎の沼の再生をつなげた本書の物語は、まさに神話とでも呼びたい物語となっている。

たまたま、本書の山場にさしかかったこの日曜の日経新聞「文化欄」に川上弘美が「ぬか床のごきげん」というエッセーを書いていて、個人的にはえらく必然を感じた。いわく、こんな調子である。

・・・・
異質のものですかい。
ぬか床にむかって、わたしは話しかけてみる。
外の世界のものがやってこないと、君はそんなに淋しいんですかい。
その通り。異質のものを、俺らは排斥したりしねえんです。異質なものを取り込んで初めて元気になり、その上そういう異質な野菜どもを、それまでよりずっとおいしくしてやるんですぜ。
・・・・

私も、何度かぬかみそを作った。しかし、台所で毎日手入れをすることができないので、冷蔵庫で飼育しようとしたが、やはり、ついつい手入れを怠って、これまですべて、殺してしまった。生命を守り育てることは生半可ではないのである。だから、しばらくは、ぬかみそを復活するつもりはない。しかし、本書と川上のエッセーを読んで、心動いたことを告白せねばならないだろう。

沼地のある森を抜けて (新潮文庫)

沼地のある森を抜けて (新潮文庫)