Sig’s Book Diary

関心本の収集

『ゴサインタン:神の座』

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/59887b6f96ae9f1d602dc986b47e0611

篠田節子、2002、『ゴサインタン:神の座』、文藝春秋(文春文庫)

シドニーからの飛行機の中でつい読んでしまった。

本書の背景は、現代社会のひずみそのものと言っていいだろう。まず、東京近郊とはいえ農家の跡取りに結婚困難があって、外国人の嫁を迎えなければならない。研修制度という名前の低賃金就労を強要する外国人労働者問題。女性の人身売買の問題。個人を取り巻く様々な状況から逃れようと、現世利益的な新興宗教への信仰にはまり込む人びとの存在。老親介護や障害者(障害児)に対する社会的偏見。近郊農村の農業事情の問題。また、貧困問題、ひとつの国の中の問題だけではなく、豊かな国とそうでない国の存在。貧しい国における労働事情や女性問題、海外出稼ぎの問題。発展途上国における開発や医療援助に関する問題。そして、個人の生き方に関わる問題である。旧家の跡取りは、家のために何をすればいいのか。

東京西郊の農家(といっても、江戸時代以来の豪農で地元の名家)の次男の輝和は、兄が家をでてアメリカにいってしまったので、心なくも家を継ぐこととなったが、縁が遠く40すぎても嫁を迎えることができない。友人から業者を斡旋されてネパールの女性と見合いをすることになっているその日、かわいがっていた白猫を交通事故で失う。老父は卒中のあと寝たきりだが、老母が公的なサービスも断り、息子にも手伝わせることなく、世話をしている。
集団見合いの席で、母が選んだ女性を選ぶ(ネパールの名前があるのだが、難しいからと、わざわざ、彼の初恋の女性の名前をとって、淑子と名付ける)。えらんだ女性は、特に寡黙だった女性だったが母は、自分が娘のように育てるからだいじょうぶという。ほかのカップルと一緒に結婚式を挙げにネパールにいくが、彼女は事情がよくわからないが複雑な背景をもっているようであった。ネパールは多民族国家であって、彼女は、そうした中でも山岳部にすむ少数民族で、ネパールの共通語も英語も話せなかったのでよけいに寡黙であった。
白猫に始まり、老親も次々失ったのはネパールから来た嫁の淑子がそうした死が関わっているとしか思えなかった。また、淑子には、不思議な超能力があることがわかってきた。病気に感染した野菜を健康にしたり、老親だけでなく、近所の子どもについても。老母の葬儀のとき、淑子は失踪するがやがて帰ってきて、次々と奇跡を起こし、新興宗教集団が形成されていく。超自然の治癒力だけではなく未来の予知もできる彼女のもとに、多くの人びとが集まり、輝和はそのことがどんどん疎ましくなっていく。そして、彼女は、相続税や家賃収入だけでなく、すべてを失うことによる救済をとくようになっていく。彼女は予言や宗教的な行為の際には日本語を流暢に荘厳につかうが、それは、まるで、亡くなった老母のようであった。そして、祖先から受け継いできた土地や屋敷、家作をすべて手放す。
近くの地滑りを予言し、地滑りの中から多くの人びとを助けたことをきっかけにして。山の中に共同体をつくるようになり、共同体は信仰のための共同体であったものが、自然との共生をうたう農業団体へと変貌していく。それと同時に、淑子の超能力が失われ、やがて姿を消してしまう。
輝和は淑子を探しまわるが、わかってきたことは、彼女は結婚していた5年間(嫁入り、老親の死、家産すべての喪失、新興宗教集団の形成、農事共同体の形成など)のすべての記憶をなくし、外国人妻への支援集団やネパール大使館の支援で、ネパールに帰国していることがわかる。そして、輝和はネパールに飛び、ゴサインタン(神の座、チベット側からは、「シャパンマ」=家畜が死に絶え、麦も枯れる地、と呼ばれている山)の麓にあるという、淑子のふるさとと思われる村に向かって歩いていく。
結末は、書かぬが花ということだが、いずれにしても、白猫の死から始まる輝和の5年間の疾風怒濤の遍歴はまことに心うち、考えさせられることが多い。

ゴサインタン―神の座 (文春文庫)

ゴサインタン―神の座 (文春文庫)