Sig’s Book Diary

関心本の収集

安芸宮島町並み散策、「頼山陽史跡資料館」、「袋町小学校平和資料館」

original: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/e9abd0fe605bd2bcb6873c3cbf910890

昨夜、安芸宮島に一泊し、午前中は、宿泊先の「ゲストハウス菊がわ」のご主人に町並み案内をしていただき、お勉強させていただいた。
神備山である弥山を背景にした厳島神社、中世(古代?)から信仰や交易のために集落が形成されていたようだ。もちろん残っている家屋は、古いものでも幕末期以降のものだが、通りに面したところが改装されていても、内部には古くの構造が残されているところがあるようだ。いくつか、内部も見せていただいた。例えば、「オウエ」という神棚、二層の家屋であっても、その上部を吹き抜けにした立派なもので、なかなかのものである。ベンガラに塗った跡が残るものや青色に塗られた壁なども見る事ができた。
宮島は、信仰の島であったので、ツーリズムの原型とも言うべき様子が町並みの変遷(埋め立て、花街、芝居小屋、社寺の建築、船宿、旅籠など)が見て取る事ができた。また、案内をいただいた途中にお会いした建具屋さんのご主人には、海上の大鳥居の建設を巡ってのいきさつをお話しいただき、楽しいひとときを過ごした。ご案内いただいた、ご主人には、お時間を取っていただき、ありがとうございました。
町並み散策の後、厳島神社に参拝し、宝物殿奥の「ふじたや」であなごめしを昼食で食した。あっさりとした味わいで、なかなかよし。山椒を頼んだがなくて、一味をかけて食した。あっさりとしているが、もう少しぴりっとしていた方が好みではあったが、まあ、こちらの流儀はそうではないらしい。

広島駅に一同で戻って、解散。地元の一人を誘い、晩飯までつきあってもらう事にした。

袋町にある「頼山陽史跡資料館」にいってみた。「日本外史」や「鞭声粛々・・・」の漢詩でしられる頼山陽が広島にゆかりのある歴史人物とは、無知にも知らなかった。頼山陽広島藩を脱藩し罪に問われて謹慎を申し付けられて蟄居した頼山陽の旧宅に資料館は位置しているのだが、実は、この場所は広島原爆の爆心地の間近で、倒壊は免れたものの屋根などはふきとばされているようすが写真に残されていて、旧宅自体も新たに復元されたもので、資料館は新たに建設されたものである。また、竹林と岩で構成される中庭「文人庭」も、なかなか清々しい。
常設の展示室には、頼山陽の生涯が年表と作品(日本外史)を中心に展示されている。特別展示室は関連する作家の南画が展示されている。かけている知識を埋めるにはよいが、いささか、物足りない。山陽の母や妻の一生とあわせてみても面白かろうと思う。受付付近に展示販売される書籍で目を引いたのは、そうしたものであった。

ほど近くに「袋町小学校」があるのだが、コンクリート製の小学校の建物が爆心地付近に位置し、在校生多数の犠牲者を出したものの、被爆後も骨格が残ったために治療用施設として機能していた。戦後も長く小学校として利用されていたが、回収されようとした際、収容された人々や身内の人々を探し求める人々の書き残した告知が発見され、建物の一部が残されたもので、原爆の悲惨さや平和への願いを伝える貴重な資料館となっている。原爆に関する諸情報が、世界遺産である「原爆ドーム」や平和資料館だけではないことを知る事ができた。

宮島観光協会http://www.miyajima.or.jp/
宮島公式サイト:http://www.miyajima-wch.jp/
宮島「ふじたや」(あなごめし):http://rp.gnavi.co.jp/sb/3006813/
頼山陽史跡資料館:http://www.ccv.ne.jp/home/raisanyo/top.htm
袋町小学校平和資料館:http://www.fukuromachi-e.edu.city.hiroshima.jp/shiryoukan-index.htm