Sig’s Book Diary

関心本の収集

『バーナード・リーチ日本絵日記』

original:読書と夕食: http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/f1168e228452f6ada91bb5560014b9d3

バーナード・リーチ、2002、『バーナード・リーチ日本絵日記』、講談社学術文庫

寝床で読んでいたのでなかなか進まなかったが、やっと読了。
本書は、学術文庫版の前書きで訳者の水尾比呂志が、その「込み入った成立の経緯」を記している。著者のバーナード・リーチは、1953(昭和28)年2月から翌年10月まで滞日し、日本民藝協会員らと歓談し、各地の窯場で作陶し、絵を描き、講演会やさまざまな会合に出席するなど多忙な間に、日記を書き、謄写版として友人たちに送っていたものが、大半で、この部分が柳宗悦によって訳され、1955(昭和30)年に毎日新聞社から出版された。帰国したリーチは、謄写版を検討して、加筆訂正などを行って、書下ろしを加えて、英文の「A Potter in Japan, 1952-1954」として出版されていた。学術文庫版は、毎日新聞社版と英文版を照合し、両書を定本として、訳文を改めてあまれたものであると言う。
バーナード・リーチは濱田庄次、富本憲吉、河井寛次郎らとともに柳宗悦の日本民藝運動の旗手となった。リーチは香港で生まれ、日本やイギリスで育ったイギリス人で、エッチングをよくし、来日の後、作陶を六世尾形乾山に学び後に七世尾形乾山。長命で1979(昭和54)年92歳でなくなるまで、世界を旅して芸術の東西融合を掲げて作陶、著作を続けた。

リーチの日本経験は太平洋戦争をはさんで、長きにおよび、本書は戦後日本の復興期にあたる。当時の日本の様子や日本人の働きぶりがうかがい知れて興味深い。かれは、イギリスの自分の陶房と比較して日本人とイギリス人の身のこなしや働き振り後外にも目を向ける。とくに興味深いのは、濱田の工房のある益子(第五章の「濱田の益子」)や日田の小鹿田(おんだ)(第九章の「九州の小鹿田」)を訪ねた際の観察と記述、スケッチである(もちろん、その他の章も、それぞれの味わい)。また、一茶の俳句を英語のshort poetに訳して見たりもする。
小鹿田のことが、気になって、ウェッブで検索して見たら、たとえば、小鹿田焼のウェッブサイトでは、リーチの訪問のことが記され、リーチがまさにブランドイメージとなって現在もリーチは生き続けているのである。

日本民藝館http://www.mingeikan.or.jp/index.html
Wikipediaバーナード・リーチ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%81
バーナード・リーチ陶房:http://www.leachpottery.com/Japanese/b_leach.htm

バーナード・リーチ日本絵日記 (講談社学術文庫)

バーナード・リーチ日本絵日記 (講談社学術文庫)