Sig’s Book Diary

関心本の収集

神戸地震10年

奇しくも10年たった1月17日は月曜日であった。
その朝、激しい揺れで目を覚ました。名古屋在住であったが、十分驚くほどの揺れであった。長く続き激しく揺れた。しかし、その時の印象は、東京が壊滅したのかといった感じであった。当時の報道はむしろ関東大震災の再来を警告しており、神戸での地震などはマスコミにはふれられてはいなかった。
わたしの出身大学は神戸市東灘区の甲南大学で、関西には友人知人が多く住んでいた。また、両親も奈良に在住であった。麻テレビで地震があったことを確認したあと、何とか連絡が取れないものかと電話を試みたが、奈良の実家には連絡が取れたものの、神戸の友人には不通であった。その日の午後であったか、公衆電話からなら連絡が取りやすいと聞いたので、連絡を試みたら何とか無事であることが確認できた。
一週間後、友人の救援ということで出かけることにした。JRは芦屋駅までが開通していたが以西は不通であった。歩くことにして、ウォーキングシューズに足元を固めて出かけた。武庫川を越えたあたりから、車窓には倒壊している住戸が各所に見えた。芦屋の駅前では、ドコモの携帯の販売所(?)ができていた。当時は、携帯の普及はさほどでもなく、ポケットベルPHSのほうが普及していたと記憶する。わたし自身、携帯などはもっておらず、知人との間ではパソ通を利用していた。
芦屋川を越え勝手知った道を西に向かった。古い住宅が立ち並んでいた一角は、軒並み倒壊し、一週間後の当時、そろそろ片づけが始まっていた。東灘区にはいると中山手幹線という都市計画道路に入る。ここに沿ったあたりに住む後輩と、路上でばったりと出会った。眉間に傷を負っていた。彼の住むマンションは倒壊はしていないが各所にひび割れが入り、危険だというので立ち入りが禁止されているという。たまたま、彼の書斎を別の小マンションにに設けていたので、そちらは無事で、そちらに移り住んでいるという。無事を喜び再会を約してさらに西に向かった。
JR本山駅近辺から大学にかけて木造住宅は思ったほど倒壊はなかったが、本山近辺のマンションが大きな被害を受けていた。また、阪急線の跨座橋は橋脚からずれていた。甲南大学では、1号館という旧制甲南高校以来の本館が大きくくずれ、その背後の2号館という講義棟には巨大な割れ目がで、キャンパス北側のフェンスは倒壊していた。キャンパス内で知人の事務職員の方と出会った。
住吉川をさかのぼって友人の住むマンションは、11階建てであったが、2−5階あたりの壁には大きくクラックが入り、ドアはへしゃげていた。この裏山に登り、ここにもマンションが建ち並んでいたのだが、さらに状況がひどい建物もあった。こうした建物には立ち入り禁止のロープが張られていた。裏山の状況を確認したあと、この夜は、避難して無人の友人宅に泊めてもらうことにした。ドアはフレームがゆがんでいるので閉まらない。窓もゆがんでいる。電気も水道もないという状況で、管理人さんに事情を説明して挨拶にいくと水をポリタンクいっぱいわけてくれた。下水は無事のようで、目の前の住吉川から水をくんで用を足すようにとのことであった。
きしみもなく身の安全については不安はなかったけれど、電気も水道もないカギの閉まらないマンションで孤独に夜を過した何とも落ち着かない一夜であった。