Sig’s Book Diary

関心本の収集

神戸震災から11年

早いものだ。わたしは、直接震災を経験をしたものではないが、あの朝のことは今もしっかりと思い出すことができる。名古屋でもかなりゆれた。1月17日月曜の早朝まだまどろんでいたころ、強い揺れを感じた。長くひどくゆれたので、当時話題になっていた、また関東大震災がやってきたのかと思って、あまり、深刻に感じることもなく、また転寝に入った。八時ごろ布団の中でミルクティを飲みながらテレビのスイッチを入れたら、どこかの町が燃えていた。えっとおもって、よく見ると、よく見知った町だった。私は甲南大学に入学以来、神戸に住んだこともあったし、ずいぶん長くすごしただけに、大変ショックだった。
当時もっとも親しい友人が暮らしていた。この日、彼女と連絡を取ろうと、いろいろと試みた。仕事もあったので、仕事場でも地震の話に持ちきりだった。電話は公衆電話が通じるらしいとのことで、その夜だったか次の日だったか、電話が通じた。一週間たって、片づけを手伝いに行くことになった。JRは芦屋まで開通していて、そこから、かって知った「中山手幹線」を通って母校をとおり友人宅に行った。途中、古い家は、軒並み倒壊。そろそろ片づけが始まっていた。奇妙に空が大きく見えた。途中、ばったりと大学の後輩とであった。彼は、その途中のマンションに住んでいた。倒壊していなかったけれど、壁面にひび割れがあり、立ち入り禁止になっているという。幸い仕事場を自宅近くに持っていたので無事のそちらに移り住んでいるとのことだった。
母校の古くからの校舎はまったくあとをとどめていなかった。撤去は始まっていなかったが、グランドには仮設校舎の建設が始まっていた。後に危機管理のよろしきを得て早々に手当てができたことがわかった。友人宅では高層マンションの2階だったがドアフレームがゆがんで開け閉めができない状態、また、壁面には大きくひび割れており、部屋の中から明るい外をのぞくことができた。友人は恩師の家に避難していて、その部屋は空き家だった。その夜、一人で泊まった。電気もガスも水道も通っていなかったが、管理人さんは水を分けてくれた。ありがとうございました。よそ者が持ち物少なく転がり込んだのに、かえって水を分けていただいた。ご迷惑をおかけしました。
次の日、友人たちと合流し、仕事場に片付けにいった。部屋のドアは中の本棚が倒れこんでいて開けづらかったが、何とか隙間からもぐりこんで、本を片付け整理をした。作業が終わって、友人に西宮駅近くまで車で送ってもらい、大阪まで出て名古屋に帰ってきた。一泊二日の経験であったが、大丈夫なはずの大阪駅前のビルが傾いたように見え、自分自身の感覚がおかしくなったのかと思った。
今から思うと、身勝手な見学行で現地への何の貢献もできなかったことが悔やまれる。しかし、早いものだ。年末以来、テレビや新聞の報道で地震関係の防災情報が目立つ。これは、神戸震災関連のものなのだろうが、ずいぶん、災害についての意識は高くなっただろう。我が家でも、それ以来、風呂桶にはいつも水が満タンであるし、持ち出し用のリュックサックが用意してある。もちろん、どこか、他人事であるのかもしれないのだけれど。