Sig’s Book Diary

関心本の収集

なぜ数学が「得意な人」と「苦手な人」がいるのか

なぜ数学が「得意な人」と「苦手な人」がいるのか
子どもの頃、算数が大の苦手だった。小学校3−4年の頃、三学期を風邪か何かで長欠していて、そろばんを習わなかった(加えてそのころ定番の塾であるそろばん塾にも行ったことがない)。何しろ、暗算だけでなく、足し算引き算も苦手なのだ。もっとも、それだけに苦手を押しつけるわけにはいかない。
同じ頃、九九を覚えさせられたように思うが、その時、すでに片鱗が現れていて、やっぱりダメだった。何しろ覚えることができないのだ。授業参観に来た母親は、恥をかいたという。参観の後担当教員に相談したそうだが、試験はちゃんとできてますよとの答えに、母親は引き下がったのだそうだ。しかし、実のところ足し算をしていたのだ。筆算で掛け算を足し算でやっていたのだ。時間がかかるから、ほどほどの点にはなるがもちろん満点になることはない。
算数の鶴亀算や植木算はもっと苦手だった。何を思ったか、小学校6年の担任の先生から「算数自由自在」を夏休みに仕上げるという個人的課題を与えられたと思って、普段は遊び回る夏休みの後半をねじりはちまきで宿題を片づけた。夏休み明け直前の先生の日直の日に持って行ったのだが、白紙のノートを持って行ったらしく担当の先生は、「あぶり出し」かと思って火に当ててみたのだという。
夏休み明けに指摘されて、あらためて宿題の成果を持って行ったのだが、実は、これは、私の思いこみで、個人課題などはなかったのだ。ま、お笑いだし、あぶり出しのノートを持って行った(白紙のノート)というのは、それに輪をかけたわけだ。いずれにしても、私の算数恐怖症はまだどこかに残っている。
算数はともかくも、数学は、中高の成績は欠点すれすれに終始したのだが、どういう訳か、苦手なつもりはなく、授業中はまわりに座って同級生に考え方を説明さえできたのだが、しかし、試験になると、部分点しかもらえなかった。何しろ、計算間違いばかりなのだ。やれやれ。
このブログを読んで、昔のことを思い出してしまった。