Sig’s Book Diary

関心本の収集

Macintosh Museum

Macintosh Museum」が届いたので、ざっと、自分自身のMacintosh歴をレビューできた。
先にも書いたように1984年、オーストラリアでMacintosh 128K(同書p.10)と出会い、また、京都でLisa(p.84)と出会った。
次のマックとの出会いは、1993年で、所属した大学でマルチメディア教室を構築する際、Macintoshを選んだことであった。当時、マルチメディア対応について、明らかにMacintosh以外の選択はないと思えた。機種選択の結果、学生用の端末にCentris610(p.46)とサーバにQuadora800(p.52)を選んだのだが、前者が入荷できないとのことで、LCIII(p.50、サーバはQuadora800のまま)になった。これらがやってきたのが1993年の後半であった。
当時は、教室内LANを組んでいたが、4年後、1996年に学内LANが構築され、インターネットに接続できる環境が整った。それで、教室内LANを学内LANにつなげることにした。ところが、通信速度が遅すぎて、あまり役に立たない状況であった。すぐに更新しようと言うことになって、今度は、G3プロセッサのPM-DT333(p.168)を導入することになった(1997年)。
LCIIIの時、個人用にもなんとかMacがほしいものと、手に入れたのが、PB150(1994年、p.198)であった。これを抱えて、オーストラリアにも出かけた。通信は、ダイアルアップ回線で接続していた。研究室の環境にもほしいというので、LC575(p.62)を入手した(1995年)。また、同じ年、自宅にもLC630(p.64)を入れた。
大学の教室がDT333になると、自宅や研究室の古いマシンでは我慢できなくなり、教室と同じDT333を1997年に導入した。そのころ、ノート環境もそれまでには、Duo280 (p.200)にアップグレードしていた。
大学のマルチメディア教室は、Macの衰退とともに学生達のWindowsマシンを望む声に耐えかねて、2003年にMacintoshはお払い箱となってしまった。Macユーザとしては、残念なことである。
しかし、研究室は、Macの伝統は残すことにした(実は、Windowsも研究室や自宅に導入したので、パソコンだらけになっているというのが実情)。自宅のG3はG4CPUに換装し(2001年)、研究室も、PMG4(p.172-3,178、B&WをへてツインCPUの1.25MHzへと)へと変わってきたし。自宅もPMG4ツインCPU1.25とCPUを換装したDT333を並べておいてある。

導入時期については、少し曖昧なところがあるが、研究費も含めて自分のものにしたマックは、Duoから現在のG4ツインCPUまで4台ほど、個人研究室には4台ほど、各種ソフトも含め、ずいぶん投資したものである。
Macとの出会いは20年まえだが、実際に使い始めて、11−2年といったところか。ずいぶんと時間がたった。

[追記]その後、この記事を書いた2005年のうちにG5のマシンを手に入れ、研究室におくことになった。自宅は、G4とG3を併置している。2006年にはIntelMacが登場し、心動いたが、2007年になってCore Duoが出るまで待って購入することになった。